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DVD Movies -VHSで持ってるソフトって買い直し難いよね-『Pan's Labyrinth』Guillermo Del Toro(ギレルモ・デル・トロ)の出世作。この作品の成功のお陰で、イマイチ売れなかった『Hellboy』の、続編『Hellboy II: The Golden Army』の制作ができたんだとか。余談だけれど、アメコミの映画化ってなんでカップリング変えるのだろうね。 さて『パンズ・ラビリンス』。 監督がメキシコの人なので、言語的になのかルーツ的になのか馴染みのありそうなスペインが舞台なのだけれど、このチョイスがまた渋い。この作品と同じような動機付けの舞台選び(ファシストの悪役と対するゲリラたち、時代は第二次大戦下…)となると、大抵はナチス・ドイツが出てくる。ちょいとヒネッても、精々が関東軍くらい(でもそれだと、ファシストじゃなくて商売人なんだけど)。大戦前夜のイタリアを描いている『紅の豚』なんかと同じ渋さと言えましょう。 んでまた、悪役のフランコ政権のヴィダル大尉(セルジ・ロペス)がイイ味出してんだわ。とは言え、それに関してはそれこそ山ほどのレビューがあるので、あまり触れずに。対するゲリラのあんちゃんがあまりにヘボい芝居を見せてくれる、と言う点だけを添えておきましょう。まあ悪役はいつもイイ味出すもんです。下手糞に悪役は務まらないのです。 んで、ま、物語中で、内戦のゴタゴタで翻弄される少女オフェリアの逃避先として立ち現れるおとぎの国と、その使者である牧羊神パン。しかしこれが、少女の現実逃避にしてはグロテスクで可愛くない。見ていれば分かりますが、継父であるヴィダル大尉と対になる存在(相反する、ではない点に注意)として描かれます。作中、彼女には4人の父親が登場するわけですね。実の父親(故人、直接は登場しない)と継父(悪役大尉)、パン(及び、中盤で登場する凶暴な盲目の妖精もこれに含まれるでしょう)、父王である妖精の王様、と。 恐ろしい継父と、そこから逃避する為に登場するパン。しかし継父ヴィダル大尉の恐ろしさが描かれていくのと同じくして(少女オフェリアがそれに遭遇するシーンはありませんが)、パンのあからさまな怪しさ、詐欺臭さも増していくのに注目すべきです。ラストで「継父とパンに挟まれた少女オフェリア」は、もうパンの方を選べなくなります。ついに現実と直面した結果、継父もパンも同じもんである、同じ現実をおとぎ話で歪めてただけなんだ、と言う事実が描かれます。しかし彼女は、そこで、それに気付くわけではなく、ただただ、心情的に正しい選択をするのです。 すでに故人となっている仕立て屋の実父と、妖精である父王の、二人ともが彼女の理想の父親なのでしょうが、おそらく両者の顔は同じなんじゃないでしょうかね。現実から完全に逃避した結果、父王の玉座の足元で、「悪い芝居をやめて」態度を改めたパンが、オフェリアに頭を垂れるのに注目です。 蛇足に近いド親切な解説をすると…。実父≒妖精王、継父≒パン、と言う構図を、ラスト・シーンにあてはめてみましょう。 実は今まで観てなかった『ダーククリスタル』ハセガワサンは普段、横山宏センセ万歳!とかXANADU ScenarioU最高!とか言ってるクセに、実は、Jim Hensonの『ダーククリスタル』を未見であった!ので観た。 Jim Hensonとは、SDガンダム外伝騎士ガンダム物語に出てくるジムの名前…ではなくて、マペットを使った人形劇の作家である。NHK教育でやってた『セサミストリート』『フラグルロック』や、上記『ダーククリスタル』『ラビリンス』『ストーリーテラー』挙句『ミュータント・タートルズ』(1990年の映画。氏の没年公開…)などで世界中でお馴染み。 平均的日本のお子様であったハセガワサンは『セサミストリート』こそ観ちゃいなかったが、何故か『フラグルロック』は大好きであった。あれは当時の世相を色濃く反映した、世界平和への希望をこめた童話であったらしい。そういえばそんな気はするが、何せ小学校低学年かそこらに観ていたので、しかと覚えてはいない。世界中を旅する叔父さんの手紙、歌(ロック)を愛しよく働く地下世界の小人たち…なるほど確かに。 踊っろっおよー♪ いやーなこっと忘っれーえー♪ (↑うろ覚え) …まあ兎に角、ハセガワサンはJim Hensonと言えばソッチのイメージしかなかったんである。余談だけど『アルフ』のアルフ(CV:所ジョージ)は氏の会社は関係なかったのかな。ちょっとだけそれっぽいけど。パロディなんだと言われればそんな感じでもあるけど。 しかし一応、話としては、当時のクリエイターたちに多大な影響を与えたらしい、と言うのは知っていた。が。『セサミストリート』のマペットたちを見ても、どうもそんな気はしない。うそーん。小林誠とかがー?どこがー? 『ダーククリスタル』観て氷解。うわすげえそのまんまだ。未だにあの「クチバシのライン」使ってるじゃんみんな!ゴシックなんだかバロックなんだかよく分からない様式の衣装(当然悪役用)とかも。っつーかXANADU ScenarioUじゃん。 しかし凄いなこの、マペットどもの色気。ヒロイン可愛いすぎ。悪役格好よすぎ。賢者オーグラって『天地無用!魎皇鬼 第二期』に出て来たよな、とか。誰かに似てるなーと思ったんだけど、中々思い出せなかったよ。 ストーリーとかはまあ、上記『フラグルロック』でも言及されているけれど、当時の世界情勢を鑑みた希望的なものを除けば、いたってヒネリのない寓話なのですが、マペットの演技が良過ぎてそれだけでお腹一杯。 横山宏センセのイラストなどを観て、粘土でそれっぽいナニカをこさえてストップモーションでアニメを撮ったりしていたハセガワサン(小学生)は、知らずの内にJim Hensonのエッセンスに触れていたのを、大人になってから知ったのでした。ちょっと感慨深い。 映画制作者のささやかなる反撃『スカイキャプテン』当時トレーラーを観たハセガワサンは、ブリキの玩具まんまのロボットが戦後のN.Y.を蹂躙するマンガ映像に、高鳴る胸を期待に躍らせた。ああ!やっぱりバカばっかだ!よかったー!! しかし公開後の評判は散々であったと記憶している。抑揚のない、見せ場ばかり淡々と続く構成。チャチなCGと、それに伴うソフトフォーカスの画面効果。それより何より、全く予想通りの展開。 なるほど。当時の若い映画ファンどもが嫌がりそうな内容ではある。それらの批評を目にしたハセガワサンは、金欠ゆえに(今でも大いに金欠ではあるけど)鑑賞すべき映画の本数を絞らねばならず、じゃーやめとこーっ、とこれを観ずにそのまま忘れてしまっていたのである。 しかし今になって。観た。観たぜ。 うわバカじゃねえのこれ?バカだろ。やっぱりバカだった!よかったー!! 実はこのDVDを観る数日前、偶然たまたま、フライシャー版のスーパーマン(例のロボットが出てくるやつ)を観たばかりだったハセガワサンは、本作『スカイキャプテン』を観てその運命の歯車に大喜び!フレー!! 冒頭の悪役ロボットの襲撃シーン、丸々パロってやがる!すげえー!電話ボックスの位置から警官隊の装備と人数まで同じでやんの!バ、バ、バッカじゃねえのー!!!!ヒャホー!!! そうなんだよ、全編そうなんだよこれ。なんかどっかで観たことあるイメージとかが目白押し。大好きなんだよ!それだけじゃねえんだよ!上記の通り、映画ファンが嫌がりそうなことを散々やってんだけど、これがもう、「やっちゃ悪いのかよ好きなんだよ!うっせ!やらせろ!」と言う開き直りにしか見えない!そうだよ!いいんだよやって!CGなんだからボカしていいんだよ!どうせ半分も観てれば気にならなくなりますから。 全体の「見せ場の芋つなぎ」である構成は、これは勿論、連続物のマンガの方法論であり、今では長尺の劇場用作品であればアニメでもやらない。が。マンガっぽくしようとすればどうしたってこうなる。いいかよく聞け。インディ・ジョーンズだってスター・ウォーズだってそうだろ?ヤベ、両方ルーカスだ。まあつまりそう言うことだ。単に、そう言うジャンルなんだよこれは! チャチなCG?これは芸術作品じゃねえんだ!プロダクツなんだよ!実際、どんなすげえ芸術作品として映画が仕上がったところで、我々消費者様はこれを一過性の消耗品としてしか扱わないんだ。それが分かってるなら…「おうさ。やってやろうじゃねえか。これでも喰らいなー!」ギャー! 全体、これらが「ダメ」であると言う認識は、素人である消費者様の中途半端なプロ意識である。病院で「オペ」とか「クランケ」とか口にすると医者に嫌われると言う話がある。映画などの市場では、これが平然と行われているのである。 「あの技法は格好悪い」「こういうレイアウトはダサい」「ああいうCGの使い方は○○年に誰ソレがもうやっちゃってるからさー」「今更あれはねえだろ?」 まとめて頬を張ってやるから一列に並べ。歯は食いしばらなくてよい!!!! 「なんとなくいや」「つまんない」「嫌い」と言うのはいいんだよ全然。当たり前のことだね。あと、明らかに手落ちである箇所なんかを見つけて喜ぶのもいいんだよ。それは玩具としての映画の、正しい楽しみ方だもん。でもダメな理由として、誰かに教えてもらった常識を持ち出すのはなあ。CGを馴染ませるのにボカシ効果かけちゃいけないの?いけなくないでしょ?いいじゃん。映画に限らず、なんかの批評とかをし合ってるときに、聞いてて面白いのは「アレはいいよ!」「コレは観ときなよ!」「ソレは真似しとけって!」と言う人。対して、早く黙らせてぇなぁと思うのは「アレはダメなんだよ」「コレは観ちゃダメ!」「ソレ真似したらおしまいだよね…」しか言わない人。後者はハセガワサンですね。ゲヘヘヘ。よく言うし、あとよく言われます。ゲラゲラゲラ。 「こういう映画を面白いと言ってはいけない」と、言われそうな映画『スカイキャプテン』。でもいいじゃん。映画なんてどうせ、消費しちゃうんでしょみんな?だったら好き勝手作りますよーだ。そんな映画。大好きだ。未来全翼機とか空中空母とかお約束ギャグとか、マンガ風が好きなら観とけ。特に空中空母。絶対、超巨大全翼機だと思うじゃんなあ。あの流れなら。腹を抱えたぞハセガワサンは。裏切り方のさじ加減が巧すぎる。 なんかもう歴史的資料、『女囚701号 さそり』世界的にコアなファンを持つシリーズの第一作。古今多々ある例に漏れず、ファン以外は第一作だけ観とけば良いと思う。 名台詞や名場面もチラホラとはあるけれど、矢張り作品自体の資料性の高さがオススメの理由。日本映画が好きなら、まあ観とこう。っつーか観てるだろどうせ。中高生の頃とかに、半ばエロ目的、猟奇目的、アブノーマル目的でこれをレンタルしたボンクラども(ハセガワサン含む)なら分かると思うが、まっとうな普通の日本映画ですよ。無論、当時(ハセガワサンが中高生の頃、じゃないぞ)としては十分に過激だったのだけれど。 反権力の描写が左翼臭いので、昨今そう言うのを気にする若い人にはとっつきにくいかもね。個人的には、桜田門警視庁の古いビルが萌えポイントですよ。あと、そのー、ワッショイワッショイ、とか。 普通に面白い黒澤明『影武者』黒澤映画で何が一番好きか、と聞かれたら、多分『七人の侍』。ただ、それは映画として、と言うよりも、登場する武装や戦い方が好みだからに過ぎない。普通に国宝の兜を被っちゃってるとことかね。後日、人に言われるまで知らないでモデルにしてたらしいけど。 さて『影武者』。 物語は武田信玄の影武者のお話なんだけれど、黒澤映画の常と言うか、役者の演技は役者の力、と言うのが観て分かる。ただ、その役者を集めるのは監督の力なんだけど。 むしろ目を見張りたいのはその情景で、時代物を観るときに観客が何を求めるのかをおよそ分かってないとこうはならない。 それは前述の『七人の侍』の装束の話でもそうなのだけれど、そう言う世界の描き方が映画では最も重要で、「あれが欲しい!」「ここに行ってみたい!」「これみてみたい!」と言う感情…っつーか物欲を喚起される部分こそがハセガワサンにとっての映画体験なのです。そう言う欲求を、お金をかけずに満たす為に、絵を描き始めたんだよハセガワサンは。多分ね。それらを紙と鉛筆で再現すれば、少しは満足できるからね。アニメーション映画が好きなのはその最たる表れで、つまり「あれ描きたい」がストレートに目に入って来るからなんだね。まあ描けないんだけど。 『影武者』で言えば、城内のセットや大道具がまず絶品。家紋の浮き彫りなんか家に欲しい。戦国物の常として、鉄砲が俄然欲しくなる。信長が出てくる以上、その装束は一通り欲しい。日本地図の屏風なんか垂涎。家康の甲冑が渋過ぎ。大将どもが主役なので、豪華な太刀が常に画面にお邪魔してて気になる気になる。第一、やつらの兜の三次曲面ときたら!情景で言えば諏訪湖畔に立ち塞がった虹なんか、黒澤カラー映画の常である妙なケバケバしさを絶妙に発揮してて素敵。と、枚挙にいとまが御座いませんのです。 ひるがえって。人物描写やストーリーの奥深さ、テーマの魅力などは、映画に限らずおよそ他の娯楽(そして娯楽以外のものにも範囲は及ぶ)に共通する醍醐味であり、必ずしも映画独特のものではない。これらを何処まで持ち上げても、映画の中では他の要素…小道具・大道具・セット・ロケーション・SFX・或いは文芸上の小細工(多くは文学などからの引用、場合によってはオマージュからパロディにまで至る)・興味深い演出技術・トリック・役者の演技の注目すべきポイント・その他その他…と並ぶところまでしか価値は見出されない。なのに世間では、やれドラマこそが重要、テーマを描くのが目的、などと言われているけれど、実は違う。これらは多くの娯楽に普遍的な要素なので、映画と言う商品のマニアックさを秘匿するためにとても有用なんです。そして同時に、映画を作る際にも、それらを骨子にして行くのが一番効率的でやり易い。だって、それなら数人の主要スタッフから…下手すれば一人から作り始められるからね。逆の作り方をしたルーカスの『スター・ウォーズ』が「マニアの映画」なのはそう言うわけよ。そのルーカスが黒澤明に作らせたのがこの『影武者』とか『乱』なのだけれど。いや実際、『影武者』では、控え目だよその辺は。登場人物の葛藤らしい葛藤と言えば、勝頼のワガママっぷり位で、他は一応の描写と、役者各々の個性しかない。勝頼のガキっぷりだって、考えてみればショーケンの個性故の配役なんだしね。 何言ってんだこのガキ、んならハリウッドのガチャガチャ映画だけ観てろバーカ。と思うかも知れないけど、ちょっと待って欲しい。 そう言う、ドラマだのストーリーだの…がダメな映画群が、何故ダメなのか。それ以外の要素はかなりのハイレベルなんだから、良いんじゃネエの〜?この論旨なら。 ダメなんだ。そういう部分がダメならダメなほど、映画自体に冷めちゃうんだな。これはつまり、逆のスタンスで映画を観ている人もそうだと思う。とても良いストーリーなのに、特撮が酷くて萎え萎え〜、とか、役者が下手糞だから興醒め〜、とか、そう言う話しの逆もまた真なりと言うことです。んで、たま〜に、ドラマだけの映画がある。それはそれで上質で好きなのもあるけど、映画である必要性は少ない。役者やスタッフに愛着がないなら、漫画でも小説でもよろしいってわけ。ただ、上質であるって時点で、映像に興味がある限りは映画でそれを観る意味は尽きないのだけれど。 さてこの映画の評論については、ラスト付近を筆頭に、助長なカットが多過ぎて大いに余分極まる!けしからん!と言う意見が多い。 ハセガワサンみたいなヒネクレ者はしかし、 「いやいや…こここそが…ね?」 とか言いたくなるんだけど…。編集時間が足りなくて、切れなかった部分が一杯あるんだそうで。 |